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■社長就任、2大改革に取り組む
私が大和証券の社長に就任したのは、年度初めでも株主総会後でもな い平成9年の10月。このこと自体が、当時の危機的状況を物語っている。総会屋利益供与事件による経営へのダメージは大きく、社会的な信用問題に加え、債 券格付けが投機的とされる一歩手前の「トリプルBマイナス」まで下落した。銀行や証券会社の破綻(はたん)も相次ぎ、薄氷を踏むような経営を強いられてい た。
次期社長の内示を受けた日、いつもより早めに会社を出て東京・新宿の書店に立ち寄り、経営学の神様であるピーター・ドラッカーの本を買ったのを覚えている。何から着手すればいいのか、無我夢中で答えを探し求めていたのだと思う。
それからは役員フロアの自室や車の中、そして社長室に移ってからも、思いついたことを片っ端から手帳にメモした。手帳は表紙に白色のマジックで番号を振 り、すべて大切にとってある。「1」と書かれた緑色の手帳には、社長就任直後の部店長会議で発表した企業理念と経営の5つの基本方針が走り書きしてある。
社長就任にあたり、「激動する金融界にあって、新しい経営の座標軸をつくることが私の使命だ」と宣言。企業理念として、「信頼の構築(信)」「社会正義の 貫徹(義)」「健全な利益の確保(徳)」「人材の重視(知)」を示した。この「信義徳知」は、「国富論」で知られるアダム・スミスの道徳哲学からとったも のだ。
7年間の社長在任中、自らも倫理と道徳という座標軸をぶれさせることなく、過去を清算した。そして、国内上場企業初となる持ち株会社制への移行、投資銀行をめざしての住友銀行(現三井住友銀行)との合弁会社設立という2大改革に取り組んだ。
住友銀行とは10年7月に戦略提携で基本合意し、11年4月、持ち株会社化と同時に共同出資の大和証券SBキャピタル・マーケッツ(現大和証券SMBC) を設立した。住友銀行頭取の西川善文さん(現日本郵政社長)と話し合いを始めたのは、社長就任後間もなくのことだった。
西川さんと私と は、考え方が似ていると思った。強い会社づくり、わかりやすい経営、ニーズに合った商品・サービスの提供などで意見が一致し、金融ビッグバンの中で、最強 の投資銀行をつくろうと意気投合した。交渉ごとには確認が必要な事柄もあるので、部下を同席させたいと思っても、西川さんはいつも1人で来られるから、こ ちらも1人。互いに譲らず、激しく意見をぶつけ合ったこともある。
銀行との歴史的な提携に対し、社内には「銀行に買収されるのか」といった不安の声があったのも事実だ。持ち株会社制移行も、先例のないことだった。社員はみな、よくついてきてくれたと思う。
■「バブル」体験…生き残りかけ改革へ
大阪の難波支店で芽が出て仕事が軌道に乗り、副社長賞を何度 か受賞した私は、秘書改革のため、昭和55年に東京本社に異動になった。11月末という時期はずれの異動で、国際、商品、そして私のいた営業の各部門から 1人ずつ選ばれた。それまでの庶務的な秘書ではなく、経営陣のブレーンとしての役割を担わせるためだ。
営業現場の第一線から秘書室に配属 されるのは異例のことで、経営と現場をつなぐ、風通しのいい経営体制づくりにつながったのだと思う。法令順守(コンプライアンス)体制確立の第一歩ともい え、後年の「証券冬の時代」に、会社の生き残りをかけた改革に取り組むことになる私にとって、大きな転機になった。1年半で事業法人部門に異動したが、秘 書として経営トップに付き、生の経営を見たことは、いい経験になった。
事業法人部門では、すさまじい日々が待っていた。57年の事業法人第1部の課長に始まり、担当常務を卒業する平成9年春までの15年間は、バブル経済の生成から崩壊後の後始末に至る過程であり、私はそのど真ん中にいた。
それまでの証券会社の法人部門といえば、社債発行を中心に、顧客企業の事業に必要な資金を調達するのが主な仕事だった。ところがこの時期、余剰資金の運用を促し、さらには調達して運用する「稼ぐ財務」を助長。企業の株式持ち合い構造も作り上げた。
疑問を抱きながらも、バブルの波に乗った私にも責任の一端はあるのだが、この時期の日本は、資本主義経済の本来のあり方から逸脱し、後進性を発揮してしまったと思う。
一方で、事業法人担当を通じて、日本を代表する多くの経営者と知り合い、学ばせてもらった。花王の丸田芳郎(よしお)社長(当時)はその一人だ。丸田さん はよく、「新しい商品をつくるときはトップシェアを狙う」と言っておられた。トップシェアを取るために、他社にない、差別化された質の高い商品をつくると いうことだろう。
私は、証券界を揺るがした総会屋利益供与事件の発覚を受けて、9年10月に社長に就任した。直後には山一証券が自主廃業するという激動の時代だ。社長就任に際し、経営の基本方針の一つとして、商品開発力と金融技術力の重視を掲げた。
丸田さんはメーカーのトップだが、金融機関も同じだと考えたからだ。米経営学者のマイケル・ポーターさんが、金太郎あめのように同じ商品とサービスを顧客に押し付けていた日本の証券業界を「失敗産業」と呼んだのも、私には衝撃的だった。
こうした中で、「つぎつぎと、次のスタンダードを。」という当時の大和のコーポレート・スローガンが生まれ、社史に残る改革が始まった。
写真1●クリック証券の高島秀行社長 |
写真2●左から山口愛実さん,折原みかさん,佐々木梨絵さん,山本彩乃さん,滝沢乃南さん |
シストレFXグランプリ2008には,二つの部門がある。一つは参加者がFX用のアプリケーションやWebサイトを開発する「シストレソフト部門」,も う一つは仮想の初期投資費用500万円を使ってバーチャル取引を行い,1年間でどれだけの収益を上げられるかを競う「トレード部門」である。
シストレソフト部門では,クリック証券が公開しているFX用のAPIを使ってデータを取得する。そのデータを整理して表示したり,実際に金銭のやり取り が発生しないバーチャル取引を行ったりする。評価のポイントは,開発したツールの機能やユーザー・インタフェース,開発したアプリケーションを使ったバー チャル取引の結果などが考慮される。
トレード部門では,通常の取引のようにクリック証券が提供しているWeb取引画面や取引ツールを使える。トレード部門には,タレントの滝沢乃南さん,山 本彩乃さんの二人が「ラッキークリックチーム」として参加する。さらに,「ハッピーマネーチーム」として,折原みかさん,山口愛実さん,佐々木梨絵さんの 三人が参加予定(写真2)。発表会で両チームは,「勉強会などを開催し,着々と準備が進んでいる」と自信を見せた。
シストレFXグランプリ2008への登録は5月22日から開始する。実施期間は,2008年6月2日から09年4月30日(ただし,シストレソフト部門 の募集は09年3月31日)までを予定している。それぞれの部門の賞金は1位が300万円,2位が100万円,3位が50万円。
別に賞金が1000万円の 高島社長特別賞もある。作品の買い取り,共同開発の依頼などもありうる。参加規約と利用規約をよく読んで参加しよう。